最初の地質学的観測
ヨーロッパ人探検家、ジャイリズとゴーゼ

マウント・オルガが最初にヨーロッパ人によって観測されたのは、1872年10月13日、北東約100kmの地域を探検していたアーネスト・ジャイリズ Ernest Giles が、ある台地に登り南西方向を眺めたときだった。「煙とかすみを通して、遠く遠く、南のちょっと西によった方向をゆっくりと眺めていた私は、一連のつながりを持った丘の稜線と、立ち上る煙の右側に、ずば抜けて高くそして唐突に終わる山がぼんやりと霞んでいるのを見つけた。」ジャイリズの山への前進は、アマデウス湖 Lake Amadeus によって妨げられた。後に彼は、当時のスペインの国王と女王の名前にちなんで、アマデウス湖とマウント・オルガと名付けた。

Kata Tjut skeched by Giles
アーネスト・ジャイリズ:西方60マイルから見たマウント・オルガ

次の年、ジャイリズは2回目の探検でマウント・オルガに到達するが、山のふもとで、荷車や馬やらくだの跡を見つけて激しく失望した。それらは、彼の2ヶ月ほど前にそこに到達した探検家ゴーゼ W. C. Gosse のものだったのである。ゴーゼはやはり北からこの地域にアプローチし、アマデウス湖の東の端を迂回してここに着いた。1873年7月18日にこう書いている。「……私は見ることができた……マウント・オルガとその東の丘を、そして私がマウント・コナー Mount Conner と名付けた高い平らな頂上を持った丘も……」。その段階では、彼はまだウルルの景色がいかに素晴らしいかはっきりとは認識していなかった。次の日彼が近づいたとき、「私が近づいたとき、その丘は一風変わった風貌を現した。上の部分は穴や洞窟で覆われていた。砂丘がはっきり見え、わずか2マイルの距離に来たとき、その丘は初めてはっきりと視界に飛び込んできた。それを見て私が仰天したのは、平らな所から突然1枚の巨大な岩が立ちあがっていることだった。私が気がついていた穴は水によってできたもので、ある場所では大きな洞窟になっていた。」 彼はそれを、当時の南オーストラリアの首相、ヘンリー・エアーズ卿 Sir Henry Ayers にちなんで、エアーズ・ロック Ayers Rock と名付けた。

Uluru skeched by Gosse
ウィリアム・ゴーゼが描いたウルル

ゴーゼは岩に登って「これは高い花崗岩の塊で、表面は鉢の巣状になっており、分解しつつある……」と書いた。ジャイリズが1年あとにウルルを訪れたとき、彼は、「ウルルとカタジュタとの大きな違いは、岩の組成にある。マウント・オルガは結果的に下から投げ上げられたのに対して、これは一塊の花崗岩で、はじめに融合して形作られた状態のままそこに存在している。マウント・オルガの方がより素晴らしくグロテスクであり、マウント・エアーズの方がより古く荘重である。」と書いている。実際は、花崗岩で造られたものではなく、粗砂岩と呼ばれる砂岩である。

ジャイリズのカタジュタについての最初の記述は正確だった。1873年9月14日に彼は書いている。「この山の出現は極端に驚異的であり、ほとんど説明を失敗に終わらせるほどのものだった。……それは剥き出しの赤い色をしたいくつかの巨大な丸い岩で形成され、それは一種の堆積岩で、すべての種類の無数の丸い石の塊で構成され、プディング・ケーキの中の干しぶどうのように混ぜ合わされていて、巨大に丸められた形で地上に置かれている。」

ジャイリズは、砂漠を通って西方へ至る道を発見する英雄的な試みの後、翌年の6月にカタジュタに戻ってきたとき、自由に想像を働かせた。彼は、「それは明らかに火山性の起源によるものである。地中や水中の火の上昇によって地球の内部から地表に噴出し、最も古い昔の海の、最も深い波の冷たい流れによって冷やされ奇妙な形の塊に冷え固められたものである。」と推測した。実に独創的な想像力豊かな仮説ではあるが、それは真実によって生み出されたものではなかったでのある。

1873年8月8日オルガスに到着したゴーゼは、「この山脈は沢山の丸い頭をした(礫岩として知られた)堆積岩の塊でできている。……それぞれの丘は独立した岩だ。」と書いた。彼はマウント・オルガの急勾配の斜面を900フィート(270m)よじ登って、「頂上にはたどり着けたが、降りられるかどうか分からない」と言った。アーネスト・ジャイリズは似たような調子でマウント・オルガについて書き、1873年9月14日にこう記録している。「私はそれを、自然の造化の戯れあるいは天変地異によって一つ一つ並べられたいくつかの巨大な球、またはむしろ楕円形の rouge-mange (意味不明、フランス語か)になぞらえることだけはできる。」と。

ジャイリズは地質学者ではなかったし、このように、これらの壮大な姿を説明するために彼の豊かな想像力に訴えたのである。