ウルルとカタジュタの地層の起源

約5億5千万年前(カンブリア紀)、アマデウス盆地の南東の縁が海面上に持ち上げられ、この地域の広大な堆積活動は終わりを告げる。岩石は圧縮され、折り曲げられ、捻じ曲げられて、ミリメーターからキロメーターの幅で折り畳まれる。そして割れて断層を生じる。この出来事は、「ピーターマン山脈造山活動」 'Petermann Ranges Orogeny' と呼ばれ、それはウルルから西オーストラリア、南オーストラリアにかけて全ての地域で生じた。

この一帯は、ピーターマン造山活動の後期、隆起し急速な侵食に曝されて山脈を形成する。ウルルとカタジュタの堆積岩は、この急激な侵食の産物であり、アマデウス盆地の成長の新しい局面を迎える。それぞれの場所の岩は異なって見えるが、それらはそれぞれが典型的な扇状地の堆積物である。それらは海岸や海中にある砂岩とは異なり、充分には整理されていない(大きく異なったサイズの粒が混じっている。)。また、岩石内部の構造は、堆積物が急速に沈殿したことを示している。ウルルとカタジュタの性質上の違いは、異なった扇状地における堆積物によって最もよく説明できる。

扇状地は大変厚かった。地層の厚みが少なくとも2500メートルあるウルルでは、堆積物が流れ出してきた山脈が緩やかに隆起したものだったことを示している。しかし、山は実際には隣接した扇状地から2500メートルは聳えていなかったと思われる。扇状地は山が隆起し始めてすぐでき始め、山の隆起に伴って続けられたと考えられる。扇状地が堆積していった地域は、同時に、多分年間僅か2、3センチずつ沈下していった。しかし何千年以上にわたる堆積は、大きな厚みの堆積物を積み重ねていったのである。

中央の玉石の傾斜は、礫岩が造り出されたときの方向を指している。

カタジュタにおける礫岩層はもっと厚く、おそらく6千メートルくらいある。その厚みと粗さは、扇状地が山々ともっと近接していたことを示している。この地点では山脈はもっと高く、このような大きな玉石(あるものは直径1、5メートル以上もある)を押し流すほど速い流れがあったと思われる。地質学者たちは、カタジュタの礫岩層の形成を、マウント・クーリー Mount Currie 礫岩層(35km北西のマウント・クーリーでよりはっきりと露出している)を参照して述べている。

マラク・ウィリチャのさざなみ状の模様

ウルルの「ウルル粗砂岩扇状地」 'Uluru Arkose alluvial fan' は、北側へ数十km緩やかに傾斜した平面だった。大きなクリークや川で切断される代わりに、それはむしろ浅い(深さはせいぜい1メートル以下)広大な網の目状の砂の水路から成っていた。山に降った大雨は突発的な洪水を起こし、それは大量の堆積物を運んで山間の深い谷間を駆け下り平らな所に達した。ここでは、谷の壁がなかったから、水は「一面の大洪水」という様相で広がって、膨大な量の砂を平野に運び、何キロメートルもの範囲に厚み数センチのシートのように広げた。砂の表面は、マラク・ウィリチャ 'Malaku Wilytja' で見られる複雑な薄板のように、さざなみ状の模様を付けられた。

カタジュタにおける「マウント・クーリー礫岩扇状地」は、ウルルで形作られたものよりもっと大きく目を見張るようなものだっただろう。しかし、そのほとんどは侵食されてしまい、僅かに、古いピーターマン山脈の側面にその一部を残すのみとなっている。